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【蔵出し復刻掲載】大連短期留学体験記

私は、2013年8月4日から18日までの2週間、中国の大連に短期の語学研修に行ったことがあります。その時の体験記は、旧サイトでも公開しておらずお蔵入りとなっていたのですが、サイトのリニューアル記念で蔵出し復刻掲載することとしました。今読み返してみると随所に隔世の感があることは否めませんが、当時の自分が体験した「リアル」をそのままお伝えするために、敢えてあまり手を加えないで公開します!

初めての大連

2013年8月4日、私は大連空港に降り立ち、生まれて初めて大連の地を踏みました。中国を訪問するのは三度目で、過去の二度はいずれも上海でした。この時点での私の中国語レベルは、初級をようやく卒業できそうな程度、中国語検定で言うと3級程度でした。

入国手続を済ませて空港を出ようとすると、突如として女性の怒号が聞こえて来ました。事情は全くわかりませんが、女性二人が激しい叫び声を上げながら取っ組み合い、殴り合いの喧嘩をしています。到着早々「ここは中国なのだ!」と実感しました。

すべては自己紹介から始まる

エージェント会社が手配してくれた送迎タクシーに乗り込み、空港から真っ直ぐ大連交通大学に向かいました。これから2週間、大連交通大学で語学研修を受けます。交通大学と言うだけあって、キャンパス内に機関車が設置してあります・・・が、立派な総合大学です。

大学内の学生センターに案内されると、教科担当の先生から学習レベルの測定のために中国語での自己紹介を求められました。へたくそな中国語で、自分が弁護士であること、独学で中国語学習をしてきたこと、短期間でできるだけ中国語レベルを上げたいと思っていることなどを話したところ、いくつの候補の中から最適なテキストを選定してくれました。

なお、最初のタクシーの運転手さんとこの教科担当の先生は日本語でのやりとりが可能でしたが、それ以外の大学内外の関係者は日本語を話せませんので、これ以降のコミュニケーションは基本的に中国語オンリーでした。

古くも快適な学生寮

研修の仕組みや滞在する学生寮の決まり事などの一通り説明を受けて、学生寮の自室に辿り着きました。留学生寮は築数十年はあろうかという年季の入った建物で、海外の建物を見たときの日本人の感想あるあるで、「地震が来たら一発で倒壊しそうだな」と思わずにはいられませんでした。

後でわかったのですが、大学の周辺地域は大連の古くからの町並みが残っていて、戦前に建てられた建物がひしめいています。その中にあって、学生寮は比較的管理が行き届いた綺麗な建物と言うべきものでした。実際、部屋の内部は必要最低限の家具やアメニティは全て揃っていて、広さも30平米くらいで十分であり、滞在してみるとなかなか快適でした。

大連ってどんなところ?

さて、大連がどんなところなのか、確認をしておきましょう。大連は、中国の遼東半島の南端(緯度は日本の仙台とほぼ同じ)に位置する港湾都市、いわゆる(中国の)東北地方の中心都市のひとつです。市全体の人口は約600万人で、近年、政策的にIT産業育成に力を入れており、日本企業を含む国内外の名だたるIT企業が数多く開発拠点を置いています

過去に遡ると、1904年の日露戦争でロシアに勝利した日本は、遼東半島を「関東省」として統治を始め、第二次世界大戦が終了するまで約40年間統治を続けました。現在の大連の街並の多くは、この日本統治時代に整備されたものです。このように、歴史的に見て大連は日本と密接な関係があり、現在でも多くの人が大連と日本を行き来しています。

大連市内の様子(2013年当時)

大連の中心部(大連駅周辺)は地方都市とは思えないほどの発展ぶりです。オフィスビル、ショッピングモール、高層マンション、どれをとっても東京顔負けの規模です。いたるところで建設工事が行われており、まだまだ発展が続くであろうことは一目瞭然です。このような開発区域に隣接して、雑然とした市場(商店)が広がっています。コンビニやスーパーはそれほど多くないので、食料品や日用品はこういった市場で購入する機会が多くなります。

衣類、家電、食料品等、ジャンルを問わず、日系企業の製品というものはほぼ全て高級品という位置付けになっています。国産品の数倍の値段で売られていますが、それでも高くても安全で性能が良いということでよく売れているようです。それだけ市民の生活レベルが上がってきているということですね。

市内には鉄道はあまり走っておらず、主な公共交通手段はバスです。バスの運賃は1元(約16円)という驚きの低価格です。路線にもよりますが、大抵は5分間隔くらいで走行しており、大変便利です。タクシーも結構な台数が走っており、運賃も初乗8元(約130円)ほどと安く、よく利用されています。タクシーは知らない人との相乗りが当たり前で、同じ方向に行くお客さんがいると、運転手の一存で顧客の了解なしに相乗りすることになります。そのくせ、全員が乗車地点から下車地点までの料金を徴収されるのは納得がいきませんでした・・・

中国語研修

語学研修は、非常に厳しく、また、充実していました。大連交通大学では夏期集中講座として1ヶ月前後の期間で外部生向けの中国語講座を開講しているのですが、私は滞在期間が2週間しか確保できませんでしたので、正規のカリキュラムには乗らず、全て1対1の個人レッスンを受けることにしました。

担当の先生は特に発音について厳しく、私は、それまで独学をしてきたので発音が自己流になっていると指摘を受けました。そこで、毎朝、午前中の授業が始まる前に1時間、自室で教材の音声を聞きながら発音練習をするようにしていました。私が使用するテキストは、本来3ヵ月で消化するものなのですが、これを2週間で終わらせるべく、授業のペースを通常の倍にしてもらい(通常1コマ50分の授業が1日2コマのところ、私は4コマ受講)、テキストを進めるスピードも速くしてもらいました。

このように学習スケジュールを無理に詰め込んだこともあり、最初の数日は1日の終わりには精神的にも肉体的にも疲れ果ててベッドに倒れこむというありさまでした。ですが、慣れてくると、語学研修を中心とした規則正しい毎日の生活が心地良くなってきて、また、自分の中国語能力が進歩している実感を得ることができて学習意欲も一層高まり、平日の空き時間や土日には、現地で知り合った人と飲みに行ったり、観光に行ったりする余裕も生まれました。お約束の京劇も見に行きました。

短期留学で学んだこと

こうして2週間はあっという間に過ぎ、帰国の日を迎えることとなってしまいました。留学生寮の留学仲間は、別れを惜しんで餃子パーティー(と言っても、餃子屋に行ってひたすらビールを飲みながら餃子を食べるだけですが)を開催してくれました。この時に知り合った日本人留学生の何人かとは、今でも親しくしてもらっています。

中国語能力を伸ばすことができことはもちろん、それに付随して中国人、日本人とを問わず様々な人と接点を持ち、様々な形でコミュニケーションをとることができたことが非常に大きな収穫でした。中国語でのコミュニケーションが上手く行って自信を持つこともあれば、会話が全く成立せずに悔しく思うこともありました。いずれも日本では得難い貴重な経験です。この経験を弁護士業務にどう生かしていくか、どう生かせるかは、今の自分にはわからない点が多いですが、今後も何らかの形で中国との関わりを持って行きたいと思います。

・・・というのが2013年当時、帰国後直後に作成した体験記の結びでした。そして、それから幾ばくかの時間が経ち、今、中国語を使い、中国・台湾関連業務を一つの専門分野としている自分がここにいます。独学してきた中国語が通じるかどうか不安を感じながら大連に降り立ち、しどろもどろで自己紹介をしていた当時の自分には到底考えられなかったことです。わずか2週間の短期留学でしたが、これを機に自分の人生が大きく変わっていたことは間違いありません。これから留学に行こうと思っている方にも、きっとこのようなことが起こりますよ!

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