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    「世界にはインターネットで解決できる課題がまだ沢山あります」
    株式会社クララオンライン
    代表取締役 家本賢太郎氏

    弁護士山口智寛が時代をリードするリーダーたちに突撃インタビューを敢行するシリーズ。今回は、若干15歳の若さで起業し、私と同年代ながら既に会社経営歴20年目を迎えようとしている株式会社クララオンラインの代表取締役・家本賢太郎氏にインタビューに応じていただきました。

    【株式会社クララオンライン概要】(2016年2月現在)

    所 在:東京都港区芝大門二丁目5-5 住友芝大門ビル10階
    設 立:1998年(前身である合資会社クララオンラインの設立は1997年)
    事業内容:インターネットサービス基盤事業、ビジネスコンサルティング事業
    Webサイト:http://www.clara.co.jp/

    まだ日本でインターネットが今ほど普及していなかった1997年に、サーバホスティング事業を柱にして創業。現在では、日本だけでなく、中国、台湾、韓国、シンガポールにも拠点を置き、「アジアのインターネットを最も知るプロフェッショナル」として、インターネットサービス事業やコンサルティング事業を展開している。

    【家本賢太郎プロフィール】

    1981年 名古屋市生まれ
    1997年 中学校卒業後にクララオンライン設立
    2001年 慶應義塾大学環境情報学部入学(2006年3月中退)
    2007年 早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了

    14歳で脳腫瘍が判明し除去手術を受けるが、後遺症で車椅子生活となり高校進学を断念。プログラミングやインターネットへの関心から、15歳で合資会社クララオンラインを設立してレンタルサーバ事業を開始。その後、奇跡的に両脚の運動神経が回復。4人の子どもの父親。ライフワークとして男女共同参画分野にも取り組み、現在、内閣府男女共同参画会議議員を務める。

    IT業界の先駆者としてのクロスボーダー事業への取り組み

    山口:まず、クララオンラインの事業内容についてご説明いただけますでしょうか。

    元々創業したときには、主に中小企業向けのサーバホスティング事業、すなわちインターネットのコンテンツ配信のためのサーバの管理運営事業をしていました。その後、日本企業が海外でビジネスをするときにインターネットインフラが必要だというニーズに応えるために、2004年に初めて台湾に進出をし、2006年には中国とシンガポールに進出しました。

    海外進出の初期段階では、日本でやっていたサーバホスティング事業をそのまま海外で展開していました。ただ、日本の企業が海外でインターネットのサービスを行う場合、インフラが整っていても必ずしもビジネスとして成功するわけではないということで、ビジネスの設計図を書くところから一緒に関わらせていただくようになり、それが徐々にコンサルティング事業として拡大していきました。その結果、現在ではITソリューション事業とコンサルティング事業、この2つのビジネスを車の両輪として展開しています。

    山口:海外拠点として、現在は、台湾、中国、韓国、シンガポールに展開されています。これはどのような戦略によるものですか。

    最初からアジアという地域を一つにまとめるのではなくて、小さく区切って一つ一つ得意領域にして専門性を高めていこうと考えて展開しています。そもそも世界を俯瞰すると、北米やヨーロッパではインターネットインフラは既に成熟していますし、クロスボーダーで橋を架ける役割という点では先駆者の方がたくさんいます。一方、アジアに目を向けてみると、インターネット人口は既に世界の45%くらいに達しているのですが、それぞれの国のインターネットに関する専門家は極めて少ない。ビッグマーケットにもかかわらず、エキスパートがいないのです。そこで、私どもは先駆者としての優位性をアピールすることができるというわけです。

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    長く働きたくなる会社を作るための努力

    山口:会社の内部のことについてお聞きします。クララオンラインの従業員構成に関して、国籍、年齢、性別などに特徴はありますか。

    恐らく一番特徴的なのは国籍で、東京のオフィスは2割から3割ぐらいが外国籍です。一時は半分以上の従業員が外国籍ということもありました。何らかの意図をもって割合をコントロールしているということは無く、その時々で必要な人材を求めた結果そうなりました。年齢は平均33~34歳くらいなので、かなり若いですね。性別は、全体の3割程度が女性です。IT業界全体の女性比率が15パーセント前後なので、他社と比べると女性比率は相当高いと思います。

    山口:採用段階では、個々のスキルや性格面に関してどのような点を重視しているのですか。

    一つは、技術的な職務に関しては、主役であるお客さまの裏で縁の下の力持ちとして支えることが重要なので、そういう役割に誇りを持てる人を採用しています。同じエンジニアでも、自分たちの作ったものを外に出してアピールしたいという志向の人もいますが、我々のようなインフラビジネスにおいては、エンジニアはあくまで黒子に徹するべきだと思っています。

    一方で、コンサルティングや営業寄りの職務に関しては、お客さまのビジネスを成功させるために必要に応じてフロントに出ることが必要になります。前に出ることを厭わないパーソナリティの持主を積極的に採用しています。

    山口:会社として良好な職場環境の維持、特に従業員のワークライフバランスに力を入れているという話をお聞きしました。どのような取り組みをしているのですか。

    10年くらい前になるのですが、私の第1子が生まれて、ちょうど同時期にワークライフバランスという言葉が出てきました。自分に当てはめて考えて、どうやったら会社を経営しながら子育てに関与できるだろうかと考え始めました。また、IT関連のビジネスをしている人達というのは20代から40代くらいがコア世代で、ちょうど結婚、出産、育児というライフイベントが重なります。ですから、個々の従業員が仕事と生活のバランスが取れないと、会社としても長く続けていくことは難しくなることが見えていました。

    このようなことから、当初は会社として育児支援や介護支援の仕組みを充実させたのですが、これはあまりうまく行きませんでした。程度問題ということはありますが、育児や介護に関わりのある人を優遇しようとして、そういったことに関わりのない人に不公平感を与えてしまったのです。

    そこで、少し考え方を変えて、自己研鑚を積みたいとか、留学したいとか、個々のライフスタイルにおける要望を、必ずしも育児や介護などに限定しない形で許容するようにしました。このようなアプローチは社員にも受け入れられ、今ではすっかり定着してクララオンラインの社風になっていると自負しています。

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    車いす生活の挫折を乗り越えて

    山口:少し視点を変えて昔の話をお聞きします。家本さんはどのような少年時代を過ごされましたか。

    私の父親は研究職で、ビジネスとの接点は無縁でした。その分、海外との接点は多く、父親の仕事の関係で私が最初に行った海外は旧ソ連時代のモスクワで、その後も東欧の国々を回りました。そのため、私にとって外国というのは、電気がついていない真っ暗な場所という印象でした。

    小学校の高学年ころになると、野球選手に憧れて、将来はプロ野球選手になりたいと思うようになりました。ジャイアンツファンだったので、入団するにはドラフトで選ばれる必要があって、そのためには高校は強豪校に行った方が良くて、そうすると中学校から結果を出す必要があって…と逆算して人生のシミュレーションをしていました。

    ただ、雨が降ると野球の練習はできないので、その代わりに家系図を見たり書いたりすることにハマっていました。古本屋で見つけてきた昔の文献を読んで、何百年も前まで遡る家系図を自分で作ってみるのが好きでした。あとは家紋ですね。お寺を巡って家紋の由来を調べたり、マニアックな家紋を探したりするのがすごく好きでした。勉強には関心が無かったのですが、好きになったものはとことん追及するタイプでした。

    山口:その後、14歳で車いす生活になりました。野球選手を志していたにもかかわらず車いす生活になってしまって、挫折感はありませんでしたか。

    野球しかないと思って、そのために全て自分の人生の設計図を描いていたのに、これがプチンと切れて、本当にどうしたらいいか分からなくなってしまいました。生きる希望とか、そういう綺麗事は全く通用しなくて、何にも分からないという現実だけが目前に広がっていました。手も足も動かすことができず、それこそ排せつも自分一人ではできない状態だったので、恥ずかしさとかそういうのも通り越して、もういいやという虚無感でいっぱいでした。死への誘惑にかられることすらありました。

    山口:どうやって克服したのですか。

    まず家族に支えてもらったのがとても大きかったです。あと、病院で私に車いすを売りに来たセールスマンの人がいて、すごく影響を受けました。その人自身もバイクの事故で脊髄を損傷して車いすに乗っているのですが、腰から下を見なければ車いすなんて絶対に分からないぐらいパワフルで、車いすのセールスをしているけれども決して押し過ぎることはなくいつも冷静で、世の中にはこういう人がいるのだと感銘を受けました。

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